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千葉でアテルイ [舞台]

本日はわらび座さんの「アテルイ」を見に千葉まで行って来ました
ひさ~~~~~しぶりの千葉は、かなり町並みが変わっていて
自分がいったいどこに居るのか?
バスはいったい何処を走っているのか?
....全く分かりませんでした(^_^;)

ま、仕方ないか
この辺に来ていたのは30年前だもんね
そりゃ変わってて当たり前だ(^_^;)

さて そんな千葉で上演されたアテルイ
青葉の森公園芸術文化ホールと言うところで上演されました
新しいホールなのかと思っていたんですが(知らなかったから)
ノスタルジー漂う年季の入ったホールでした
でも、椅子は背もたれが高くてとても楽でした
私は座高が人より高いので、背もたれはいつも中途半端な高さで
逆に首が疲れるのですが、ここはそんな心配はナシ!
ちょっと嬉しかったデス

さて 肝心の「アテルイ」ですが...
お芝居の元となった「火怨」は既に読んだことがあって
ジブンの中では個々のキャラクター像が出来上がってる訳です
他にも、新感線の「アテルイ」とかM座の「AKURO」とか見て
そのイメージもバッチリ着いちゃってるんです
なので ちょっとそれが邪魔をした...と言うか(^_^;)
まあ、ちょっとその辺で笑っちゃったワタシでありました
見た目、もありますが役の上での関係とかも...ちょっとね

内容的には...面白かったです
全国ツアーなので、セットは極力少なく!と言う感じではありましたが
その分、和太鼓を上手く使って表現していたなと思いました
岩手山の噴火とか 迫力あって良かったかと...

見ていて、ふと思ったんですが
蝦夷は自分たちで自分たちのことを「蝦夷」と呼んでいたのか?
これは大和朝廷側がそう呼んでいただけであって、
実は他に呼び名があったんじゃないか?とか思ったわけです
蝦夷には「辺境」とかの意味があったと思ったので(違ったか?)
わざわざ「朝廷から見て辺境の...」とか、普通は自分たちで言わないでしょ?
じゃあ、彼らが自分たちを表す言葉って何だったんだろう?
と思ってから、それから気になる気になる(^_^;)

そして田村麻呂の祖先である東漢氏
確か蘇我氏の側の渡来人だった...直駒は崇峻天皇暗殺の実行犯だし
って事は、物部氏とは先祖からして対立関係だったって事で
祖先の因縁が蝦夷で田村麻呂とアテルイを引き合わせたのか?
なんて事まで考えてしまい...
ま、さすがにこれは考えすぎですが(^_^;)


話しは逸れますが
気になる~~と言えばタキナと...だれだっけ(^_^;)
矢を胸に受けた二人とアテルイの遣り取り場面
アテルイはおもむろに矢を抜く訳ですが...

普通、刺さった矢は抜かんだろ(^_^;)

少なくとも戦場では抜かないよね???
え?違う?
だって抜いたら失血死しちゃうもん
って言うか、お芝居なのにそんな重箱の隅つついてどうする?
...すみません
ちょっと気になってしまったもんで

そうそ 鍬を持ったおばあさんがナイスでした
一心に墓穴を掘る姿に目が釘付けです
いつ 横で話しをしている田村麻呂とアテルイに襲いかかるかとハラハラ
...すみません
そんなこと ありません
ありませんが....気になりました(^_^;)


さて この作品
来年2月に新宿文化で上演されます
SPキャストだそうですが...アンサンブルに見知った名前がくるかな?
もし来たら見に行ってもいいかも?
でも、チケット代が今日の倍なんですよねぇ...
でもって新文は駅からめちゃ遠い(-_-)
さて どうなるやら









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